もうすぐ4月。北国・盛岡も梅の花が咲き、雪解け水で街中を流れる川も増水し、薄着の人が増えてきて、いよいよ長かった冬が終わって、待ちに待った春がやってくるという気配になってまいりました。
さて、昨晩はちょっと近所の酒場で呑んできました。
いつもながら「手抜かりない」仕事に惚れ惚れしながら、もっきり酒を2杯呑んできました。
いやー、素材の扱いも当然上手で調理技術も優れたものがあるのは当然ですが、本当にここのご主人の手抜かりのなさにはいつも脱帽です。
今やテクノロジーの進展もあって、修行時代がなくても和食屋や鮨店といった飲食店を開業できるようになっていますが、やはり経験と努力によって培われたもの、そしてなにより自然と「手抜かりない」仕事をする姿勢に勝るものはないと感じます。
丁寧な仕事は品格を生み、品格は料理の見た目や質にも顕れ、これが「違い」となって客の舌や目に届けられるのです。料理を作ることができる”だけ”ではないのです。
「ちゃんと仕事できる職人が高齢で店を畳んでしまってる」とご主人は嘆きます。一方で、大きな資本のセントラルキッチンで画一的な味わいを低価格で提供できる店は地方にも進出し、安さ・手軽さが消費者に受け入れられ、下積み・修行を踏んで舌の肥えた厳しい客たちに鍛えられた職人たちは事業承継できずに消えていっているのが事実です。
たぶん、こういう、「手抜かりない」酒場は消えていくのでしょう。人手不足は飲食店業界でもますます顕在化し、低所得のサービス業は淘汰され、食文化は失われていくのでしょう。。。などと考えてしまいながら、ご主人の手料理を慈しみながらいただいたのでした。
ではでは。